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愛知県章と所在地図 愛知憲章 名古屋城

 
1愛知県は日本列島のほぼ中央にあり、東西106km、南北94km、面積は5,152で
国土の約1.36%に当たり、全国で28番目の広さです。
西部から南部にかけての一帯は平坦で全国第2位の広さをもつ濃尾平野をはじめ
 
岡崎・豊橋の両平野を形成しており北東部は1,000m級の山地となっています。
気候は、太平洋の黒潮の影響を受け一般的には温暖です。
 
北東部、の山間地域では、内陸性気候で厳しい冬の冷えこみがあります。
 
1愛知県の人口は、699万人(平成10年10月1日現在愛知県人口動向調査)で
全国総人口の5.5%を占め東京、大阪、神奈川に続いて第4位となっています。
また、人口密度は1当たり1,356人で、世帯数は248万世帯です。
県内市町村のうち、最大は名古屋市の216万人で、最小は富山村の197人です。
 
県の人口を年齢構成別にみると、第1次ベビーブーム期
(昭和22年〜24年生まれ)と第2次ベビーブーム期(同46〜49年生まれ)
の世代で特にふくれた人口ピラミッドを形成しています。
以上の割合は、13.4%と全国(16.2%)より低く、また
老年化の程度を示す老年化指数も85.3と全国(107.6)を下回っています。
平均年齢は39.1歳となっており、本県の人口構成は相対的に若い県といえます。
 
1古代は、尾張国(木曽川・庄内川地方)三河国(西三河の矢作川地方)、穂国
(東三河の豊川地方)の3国に分かれていましたが大化の改新後、
尾張、三河の2国となり、江戸時代まで続きました。明治4年の廃藩置県の後、
三河は額田県に、尾張は名古屋県となり明治5年月に名古屋県は愛知県と
改められ、同年11月27日に額田県を4廃して愛知県の管轄に移し、
永く続いた尾張国、三河国は愛知県として統一されました。
 
明治22年に市町村制、同24年には郡制が施行され、1市19郡に市、郡役所が
置かれましたが大正15年に郡役所が廃止され、県庁に事務が移行しました。
また、昭和28年には町村合併促進法が施行され、13市204町村が
21市90町村となり、平成7年4月1日からは、31市47町10村となっています。
 
1「あいち」の地名は、万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟
(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている年魚市潟(あゆちがた)
に由来するといわれ、「あゆち」が「あいち」に転じ、
愛智(郡)の郡名もここから生まれました。廃藩置県後
県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用されました。
 

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